森 立志堂

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なぜ半貴石が注目されるようになってきたのか?

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いつも立志堂をご利用いただき誠にありがとうございます。

 

今回は、半貴石について少しだけお話しさせていただきます。

半貴石の扱いについては、昔々から続く立志堂としては、

「宝石ではない」という扱いから、あまり扱うことがありませんでした。

 

なぜなら、30年、40年前では、半貴石は、宝石になれなかった石として到底価値を

見出すことができなかったのです。

 

インカローズやアマゾナイト、ラブラドライトやラリマーなど昔々は、

名前すらも聞いたことがないという石でした。

しかし、今はずいぶん落ち着きましたが「パワーストーンブーム」が10年前くらいから

流行りだして、様々な半貴石がきれいだと評価されるようになってきたのです。

 

ダイヤモンド、サファイア、ルビー、エメラルド、アクアマリンなどの当時五大宝石と

呼ばれたもののみではなく透明度の低い宝石と呼べないものまで半貴石として目立つようになりました。

 

スタッフの見方では、「なぜ半貴石が注目されるようになってきたのか?」考察すると

ふたつの理由が浮かびます。

 

ひとつは、ほとんどのお客様が宝石と呼ばれる石を持つようになり、宝石の多様性に限界が来たからです。

誕生石でも12種類、ひと月にふたつの宝石がある場合もあるので2倍にしても24種類。

パライバトルマリンやパパラチアサファイア・アレキサンドライトなどその他を足しても

種類として100に満たないのではないでしょうか?

どの業界も新しい商品を生み出し需要の獲得を得なければならないのですが

宝石の多様性に限界が来てしまったので新たな注目を得る石を生み出さねばならなかった

業界の背景とお客さんの新しいものを求める気持ちが半貴石が注目されるようになった

ひとつの要因だと思っています。

 

 

もうひとつは、90年代、経済成長を果たした日本という国が目指したのは、

集団としての豊かさではなく、個人の自由なのだと思います。

それまでは、集団で豊かになることを社会として目指していたような風潮でしたが

ものがあふれ、お金さえ出せば豊かに暮らせるようになった社会では、

集団の豊かさを求めるのではなく、集団の中の個人の自由を求めるようになってきたように思います。

そこで、「個性」の尊重が行われ、人と違ってもいいんだ。みんな同じじゃなくてもいい。

競争して勝ち取ることだけが価値ではなく、そこにいるだけで人間は、素晴らしいのだ。

という価値観です。

そこに、半貴石を当てはめてみると、今まで宝石を追い求めていたけれども

宝石と呼ばれない半貴石と呼ばれるものでもきれいであり、人と違う半貴石に価値を見出し

宝石と呼ばれてきた石だけではなく半貴石にも価値があるのだと見い出されてきた。

個人の自由と半貴石の同じ輝きがない魅力は、「個性」としての需要を得たのだと思います。

これが二つ目の理由です。

 

スタッフとしては、宝石の美しさには、半貴石はかなわないが、

半貴石にしかない「ぬくもり」は、身に着けるものとして十分の価値があると思っています。

 

たまに、まじめなことを書いてみましたが、読みにくくなっているかもしれません。

もし…もしですよ?……このブログを読んでわけわからないなぁ~と思ったら、

お店にご来店頂ければきれいに説明させていただきます。

 

それでは、またのご来店をお待ちしております。

 

 

 

2019年02月12日 17:58