森 立志堂

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妙好人 森ひな ばあちゃん。

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いつも森立志堂をご利用ありがとうございます。

皆様いかがお過ごしでしょうか?



先日、お客様との話し合いの中で

有名な「妙好人」である

森ひなさんと鈴木大拙さんの

問答が素晴らしかったのよね。と言われて、

取り上げたいなと思ったのは、

森 立志堂の創立者である先代の社長は、

有名な「妙好人」である森ひなさんの

息子さんになります。




いつも「ひなばあちゃん、ひなばあちゃん」と

昔のお話に出てくるおばあちゃんが、

かの有名な大天才であり、哲学者の

鈴木大拙さんと問答をしていることに驚きました。



森ひなさんは、文字を書くことができなかったため

息子さんが森ひなさんの、

言葉を紙に文字で書き残したそうです。

インターネットで調べると

大拙師と妙好人の会話を

見ることができました。

今回は、鈴木大拙と妙好人森ひなさんのお話を

載せてみましょう。



ヒナさん

『わが機、ながめりや、あいそもつきる、

わがみながらも、いやになる。

ああ、はづかしや、なむあみだぶつ』


『いやになるやうな、ざまたれ、ばばに、

ついてはなれぬ、おやござる。

ああ、ありがたい、なむあみだぶつ』



大拙師

「わが身ながらもいやになると書いてあるが、

これあんたの煩悩やろ。

この煩悩、半分わしに分けてくれんか?」


ヒナさん

「いや、あげられん」


大拙師

「なんでや?あいそもつきるような

煩悩なら分けてくれんか?」


ヒナさん

「いや、これは分けられん」

「この煩悩あればこそ、この煩悩照らされて

(如来さんというはたらきに)であえたんや」


大拙師

「そうやったな、儂もおばあちゃんの二倍も三倍も

煩悩もっとるさかい、お互い、この煩悩大切に生きていこうな」


参考文献:鈴木大拙『妙好人』(法藏館)





文章の正確な解説は、専門の方にお任せして、

なんとなくこんなことを言っているのかなと言う解釈だけ載せましょう!


人間は、何の苦もなく生きているのでは、

人生の大事な問題に気付くことができない。

愚かな煩悩だらけのわが身だからこそ

仏の教えに出会うことができた。

愚かな人間だからこそ

煩悩あればこそ、恥ずかしい思いや苦しみに出会う。

それらに出会うことがなければこれほどまでに

素晴らしい考えに気付くことはなかったであろう。

愚かな我が身だからこそ気付くことができたのだ。

過去の苦い思いに感謝をすることができるのも

煩悩があればこそ、この煩悩とともに生きてこそ

大切な教えに気付くのである。

しかし、煩悩のない人間などいるものだろうか?

皆、煩悩を持ち、苦しみ悩んでいる。

だからこそ、救われない人などいないのだ。と



森ひなさんはおっしゃっているように聞こえます。

どんな人間でも清く正しく生き続けられるほど完ぺきではないですが、

それでいいんだよ。だからこそ仏さんに会うことができるのだ

というひなばあちゃんの優しさが見え隠れします。


自分も清いだけの人間ではありません。

かといってドス黒い人間でもないですし、

中途半端な人間で自分が嫌になる日もあります。

しかし、そんな悩んでいても、

「それでいいんやよ」と森ひなさんは言ってくれる。

先人たちの教えには、厳しくも優しいメッセージが

あるのだとありがたくなりました。

 
2020年08月20日 16:23